ユングが提唱した提唱した個性化についてのちょっとした解説。個性化とは、生涯続く、人として心の成長のプロセス。人が集合的な価値観から脱して個になっていくプロセスでるとも言われています。社会、家族、時代、宗教などが規定する支配的価値観つまり外的価値観ではなく、自らの内なる、開かれた価値観に基づいて生を歩むプロセスと言われています。
幼い頃は絵や音楽が大好きで、今もそれは変わらない。興味深い画家、作家と出会えば色々調べて図書館に通ったりもしました。
いまは、絵をみるけれど、行ったという経験の方が大事な人が多いのだなと思ったり。
ただ観て終わりではなかったし、やはり作品を作る人たちの人生や考え方に興味があるんですよね。
十代の頃のサブカルチャーが一般の方の投稿で成り立っている雑誌が多かった。雑誌の後ろの読者のお手紙コーナーだけで成り立つ雑誌もあったんですよ。私のホロスコープは月が水瓶座、水星が双子座だから、色々な考えや物事に興味が多くあったのだと思います。いろいろな思想や考えにひかれる。
中学になると、絵よりも音楽です。幼い頃にギターやりたくて買ってもらったものを引っ張り出して弾いたりしてました。だんだんとわたしはベースの音が好きだと気づき、ベースをてにいれました。ギターよりは弾きやすいと感じました。いまから35年ほど前なので、父子家庭のわたしは、あまりクラブ活動などはなかなか出来なかった。なぜかというと、スーパーが夕方5時か6時にしまり、それを見越して帰らねばならなかった。
そのような片親の家庭に育つとやはり力をセーブするようになったり。出来なかったら怒られたりと、家の役割ができてしまう。その中でできることを選ぶようになったのも事実。絵をやったり、音楽をやったりはある程度時間をかけて行うことが大事だから、どうしても後回しにもなっていきました。
人生は理不尽です。(笑)
あの頃はそんな時代だったし、しょうがないわけであります。全く不満もなかったです。それに段々と新しいことにも興味が移っていくのが、人間だからです。ずっと好きなことが一緒という人も稀だし、ホロスコープを読むものとしたら、変わるものですよとお伝えしたい。変わらない人もいるともお伝えしたい。
私自身も、自分がする側になりたいということは無くなりましたが、音楽も絵も読書も大好きですけどね。
私たちは、時代や社会からの価値観を知らぬ間に押し付けられているので、その中で個人個人がやりくりするものである。
あの頃は、組織や家族の一員とはそういうものでしたな時代です。しかし、世の中をみているとヤングケアラー問題や若い人が苦労している。世の中の問題の犠牲的になっているのではないかということも感じます。
一部の家族の問題が、社会の比率的には大きくなっていることが気がかりですよ。
システム、社会の中に暮らしていると、そのシステムに影響されてしまうものです。それが人間が社会的な動物であることでもあると思います。家族や関係性に所属していると感じることは、心身の健康に一役かっていることも大いにあります。家族愛や、会社愛、集団の一員であると感じれることは人を強くもしてくれると思います。
しかし、それでは個性化へのプロセスが始まらない人はいる。家族や組織や繋がりを重要視する価値観のままで生きる人もいると思います。そして、家族関係の不足、不和があり、自分自身の家族を得るために個性化のプロセスが始まる方もいらっしゃると思います。
それは何かが問題ではなく、その方にとって内なる何らかの呼び声が聞こえている。または人生の途上で素敵な方と出会うとか。色々なことが考えられます。家族に問題があっても家族を持たないことでもないし、家族にこだわる人もいてもいい。何かの結果のために原因がなくてもいいのではないか?
この「こうなったのは、○○」には誰かや何か、出来事などが関与しているということになっている。しかし、原因と結果はどちらが先がわからないというのがエネルギーの世界、アカシックレコードの世界なのだ。
因果の世界から解き放たれないと、素直に物事を始められない方は多いのかもしれないと感じる。
才能も一つの原因であり、結果を導いてくれるのだけれど、プロセスが抜け落ちてしまうと、恐らく才能は枯渇するんだな。
才能はやってから見えてくることもあるので、まずはその先に歩んでいかねばならないのだ。それが内なる価値観と出会っていける唯一の手がかりとも言えます。なので成長という見えにくい生き方を価値として生きて行かねばならない。誰が判断してくれるわけでもなく、喜ばれるかもわからない生き方。第一、初速している集団的価値観から背くような価値観かもしれませんし。
そこで、人は自立のみちを歩まざるを得ないのですね。そばで面倒みてもらいながら生きていくのか?まずは自分自信を面倒見れる人になるのか?y
好きなことをしなさいという言葉は一種の呪いとも思うのだけれど、知らぬ間に時間を忘れて没頭することがある人は幸せだと思いますよ。まずは時間を自分のために、自分一人で過ごせるって個性化への道なのかもしれません。しかし、この考えも偏っているでしょ?なぜ、一人で没頭することが素晴らしいというのか?ということで、誰かと過ごす時間をこよなく愛することが大事な人もいるので、好きなことをするという中に人とおしゃべりするとか、他者との関係を加えないと、個人、個人のその方の個性が見えにくいのです。
個性化は一生続く成長のプロセス。
私になるために、個性化への道は続きます。集団的価値観から自分自身の核のような考え方に出会うまでには辛く、苦しい経験もあるかもしれません。しかし、その苦しさから逃げてはいけない。
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