私達は母との関係だけでなく、生む、生んでもらう関係は日々生まれています。それは人と人が出会う救いでもあるのでしょう。人は多くは親子関係に縛られていますが、外界に目を向ければあなたを救う手立てはたくさんあるものです。
出産の言語と創造すること、生まれること、生み出すこと
私達の言語には誕生そのもの、あるいは比喩としての誕生にまつわる表現が満ち溢れてはいませんか?
私達がなにかをする時にうまくはじめれないこと、始めるということがよくわからないということは多くあります。
「始めれない」「始めることができない」「取りかかれない」
「行き詰まる」「私の居場所がない」「抵抗される」「皆に嫌われる」
「始めてもどうなるかわからないからしても無駄」「後戻りは出来ない」
「達成感がもてない」「納得いかない」「早くここから逃げないといけない」「うまくやらないといけない」
「どちらが良いのかわからない」「これが終わるまで終われない」
「邪魔されているような気がする(だからここを離れないといけない)」
私達は誕生をすること、誕生させてもらうこと、誕生させることにおいてずっとなにかを再体験し続けているのではないか?
相談などを伺っていると、誕生させることが念頭にあり続けると
周りはずっと胎内でいるような状況になられている場合があります。
お母さんが活動的でお子さんより先に行動してしまいがちな方は、お子さんがずっと家にいる、こもりやすくなるということは多くありえます。
消失への恐怖なのでしょうか。
それを癒やすことも、自分が生まれること、自分を生み出すこと、自分を誰かに生んでもらうことの様々な関係性の立場の変化においての
柔軟な対応によって人は自由になるのであろうかと思います。
母との関係だけが生む、生んでもらう関係ではないことは人にとっては救いなのではないでしょうか。
パートナーとの関係、親子でも子供を生んだことで親にしてもらうという考えがありますよね。
それは男女問わず、年齢を問わず、その関係は入れ替わり様々な救いとしてもあるのだろうと思います。
そして、それは人間との関係だけでなくてもいいと思います。もしかして趣味や無生物との関係でも生み出してもらえるのかもしれませんね。
AIとの関係だってありえますよね。
植物や鉱物との関係もありです。
サイキック&アカシックリーディング&アカシックヒーリングサロン
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